さて、2023年の今年は、1923年に発生した関東大震災より100年となります。
関東大震災の状況は広く知れ渡っておりますが、念のため、振り返ってみたいと思います。
1923年(大正12年)9月1日の昼12時直前に、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大地震が発生しました。この地震により、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測したほか、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5から震度1を観測し、広範囲に被害をもたらしました。また、発生が昼食の時間と重なったことから、多くの火災が発生し、大規模な延焼火災に拡大しました。
この地震によって全半潰・消失・流出・埋没の被害を受けた住家は総計37万棟にのぼり、死者・行方不明者は約10万5000人に及ぶなど、甚大な被害になりました。
阪神・淡路大震災の死者が約6,000人、東日本大震災の死者が約2万人と比較しても、その被害規模と社会経済的なインパクトは極めて大きかったことが分かります。
日本は、他の国と比較して、地震や火山噴火が大変多い国です。これは、日本は複数の異なった海洋プレートの上に位置しており、これらのプレートの動きが地震、火山噴火を起こすため、他の国よりも地震や火山活動が多発する地域であることが理由となります。一方で、このようなプレートの存在により火山活動の活性化を利用した副産物である温泉や日本独自の風景といった恩恵を享受できることとなります。
また、関東大震災の復興を契機に、近代的な都市計画が推進されることとなります。具体的には、全面的な土地区画整理、昭和通りを始めとする22路線に及ぶ大規模な都市計画街路、崩落した隅田川に架かる橋の復興、特に永代橋や言問橋は技術的にもデザイン的にも当時最高水準のものが建設されました。また、丸の内や銀座といった東京の中心部では、鉄筋コンクリート造りのビルが立ち並ぶようになりました。
なお、ラルクが入居している日証館ビルのオーナーである平和不動産のウェブページによると、日証館ビルは、関東大震災で無くなってしまった渋沢栄一邸の跡地に、関東大震災の5年後の1928年に建設されたとのことです。また、戦後の1946年から1949年までの間、取引所の市場館・本館が米軍に接収され取引所市場は閉鎖されたため、日証館1階の事務所で取引所取引に代わる集団取引が行われたそうです。
従いまして、日証館ビルは1928年に建設されたとのことなので、今年で95年になります。
この95年という重みと歴史を感じながら、IPOという証券発行市場に関わる一員として、今年も従事して行きたいと思います。
(黒川)